文豪や編集者に愛されていた、
お茶ノ水駅近くの「山の上ホテル」が休業となった。
再度作り直すのかどうか、まだはっきりしていないようだ。

私は戦後8年たった1953年頃から、このホテルに通うようになった。

最初は作家の檀一雄先生の作品をいただきに行ったのだが、
そのうち、週に1回ほど、呼ばれるようになっていった。
自分の仕事ではない、他社の書き下ろしを手伝わされたのだ。

それは当時テレビドラマにもなった『火宅の人』(新潮社)
という作品に出てくる、先生の愛人女優との世話を頼まれたのだ。
まだ22歳の新人編集者が、世間に隠された愛の巣を探しに歩いたり、
いまの人の仕事ぶりでは、考えられない仕事だった。

あまり長い間、ホテルに2人で逗留していたのでは、
流行作家といえども、資金がつづかなくなってきたのだ。

私は山の上ホテルに行くたびに、
天ぷらのカウンターでおいしい天ぷら料理を食べられたのが、
のちに「食通」の1人に数えられるようになったのだが。

このホテルは天ぷらで一時期、有名になったのだが、
そのとき働いていたのが、近藤文夫氏で、いまではミシュランの常連だ。
しかし近藤さんは私よりあとに職人になっている。

このホテルには、文豪が作品を書くとき使った、
座布団から文机、テーブル、ペンなど、いろいろ揃っており、
私はのちに作家になってから、ここの常連になったのだが、
多くの文人が使った文机を使わせていただいた。

このホテルがなくなると、もうホテルの楽しみはなくなるだろう。
ほとんどは、外資系の超高値ホテルに切り換わっていくからだ。

昔を知っている人には、寂しい時代になってしまった。


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この世界では、替えの利かない人間なんて存在しない。

近頃ではジャニーズ事務所をつくったジャニー喜多川が死んだら、彼の替えはいないといわれていたし、現在は松本人志がそんな立場に立っている。

しかし別に松本がいなくなったって、テレビ界が潰れるわけでもなく、本人がそう思っているようでは、のちのちそれこそ、お笑いネタになるだろう。

替えが利く、利かないの原点は「多くの人に感動を与えている」というものらしい。

名経営者といわれている人も、亡くなったところで、会社が潰れることは、めったにない。

松下幸之助や稲盛和夫も「替えの利くような人物」ではなかったのはたしかだが、では亡くなったら会社が潰れてしまったか、といったら、そんなことはない。

どこの皇帝や大統領がいなくなろうと、国そのものが滅亡するような時代ではなさそうだ。

極端にいえば、死んだり居なくなったとしても、いまならAIがその代わりを務めてくれるだろう。

いまの世の中でいうなら、タレントの松本人志が失脚したら「替えが利かない」といっている連中は、仕事か遊びで、いい思いをした男たちだけなのだ。

しかしこれからはもう、女遊びにも参加できないし、仕事ももらえない。

かつての吉本興業の島田紳助のように、松本はひとりぼっちになる以外ないのだ。

島田のときも、替えがいないといわれていたが、芸人はあとからあとから生まれてくる。

私たちもとりあえず、「替えのない人間」を目指して、がんばれるだけがんばっていこう。

とはいえ、私生活面でも「替えの利かないお父さん」にはなりえないようだ。

よき夫、よき妻、よき父や母どころか、近頃は毒夫、毒妻、毒親と呼ばれるようになってきた。

できれば、こんな言葉や表現で呼ばれるようには、なりたくないものだが。

それはともかく、松本人志の時代は終わった。子分の小沢一敬も終わったろう。

聖心女子学院(中・高校)出身の松本夫人も、外に出られなくなったようだ。



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定年退職を機に、外国に移住する男たちがふえているという。
このところの新聞や週刊誌を見ていると、タイの生活がよさそうだ。

65歳から年金をもらう場合、額面で14万7000円となる男性は、
その金額だと6万円は貯蓄できるという。

物価が安いからだが、稼ぐ男になると20万円くらい月収があるので、
マンションを借りても悠々らしい。

世界を見回すと、安全で物価が安い国は、
東南アジアに多いので、高齢の日本人は相当多いらしい。

中には日本のマンションを別荘として残しておき、
あちらに移住するという。

あちらの企業は、日本企業の下請けをしているところが多いので、
日本人社員を欲しがるのだという。

問題が起きたとき、日本人社員がいるほうが、
正確に解決できるからのようだ。

その点、むしろ若手の日本人より、定年になったくらいの役職者のほうが、
重量感もあって、トラブル解決に力を発揮する、というのだ。

同業の日本人だったら、高い金を出しても、来てもらいたいらしい。
特に東南アジア諸国は、日本人への好感度が高いので、
定年と関係なく、移住する人も多いようだ。

私の友人はベトナム女性と結婚して、2人の娘を連れて日本に戻ってきたが、
2国に家を持って、悠々とした生活を送っていた。

これからは日本国内に別荘を持つのではなく、東南アジアに1軒持ったほうが、
地震もなく、安くて安全かもしれない。

日本国内にいるかぎり、大地震や大噴火、
それに経済的な不安を含めて、気が休まらないからだ。

私は東京外語の出身だが、この大学には、いまでも校歌がないのではあるまいか?

私の時代は
「流れ流れて落ち行く先は
北はシベリア南はジャワよ
いずこの土地を墓所と定め
いずこの土地の土と終わらん」
という、大正時代の歌を校歌代わりに歌っていたが、
私も日本で一生を終えるとは、まったく思っていなかった。

ぜひ若い人たちは、この歌のように、外国に出て行って欲しいと思う。



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どの家族も「昭和」という時代を、まだ身体に刻みつけているに違いない。

昭和の終わりは1989年1月7日だった。
いまから35年前になるが、恐らく「天皇の世紀」でいうならば、もっとも長い治世になるのではあるまいか?

現在の日本国民でも、昭和の御代を生きてきた人々が、もっとも多いだろう。

大正からこの「昭和」に改元された年のブームは3点ある。

1つは「モガ・モボ」という流行語であり、あとの2つは「ハンドバッグ」と「円本」だった。

モガ・モボとはモダンガール、モダンボーイの略で、それまでは着物姿だったものが、この昭和の御代になると、洋服になったものだ。

だからハンドバッグも流行品になったのだが、円本とは1冊1円の略で、改造社が日本文学全集でスタートさせた。

同じく円タクといって、東京中どこまで乗っても1円というタクシーが走り回った。

英国などから自動車を輸入して、東京中を走り回ったものだが、私の祖父もこれで儲けたようだ。

私は昭和10年代の東京の街を、祖父の車に乗せられて走り回った経験を持つ。

翌昭和2年になると、作家の芥川龍之介が服毒自殺をしている。さらに金融恐慌が始まった。

それから約100年後の今日、世界的な金融問題が起こりつつあり、日本も1、2年の間に土地やマンションが、大暴落するという噂もある。

昭和7年になると「10銭(テンセン)ストア」という店舗が拡大している。これが現在の「100円ショップ」の始まりだ。

私たちは新しい店舗の出現と思っていたが、そうではなかった。

これで成功しているのだから、歴史に学ぶと成功の確率は高いのかもしれない。

それは映画にもいえる。昭和8年、1933年に映画「キングコング」が大評判をとったが、戦後の「ゴジラ」はこの映画の模倣映画なのだ。

昭和をじっくり研究していくと、新しいビジネスが掘り出せるかもしれない。


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ファシリティドッグが活躍している。

ファシリティとは、もともと施設、設備、便利さ、融通という意味だが、一般的に、ファシリティマネジメントと使われることが多い。

さまざまな設備や施設などを維持、運用する業務をいうのだが、なんと最近は、それらを利口な犬たちが受け持つのだ。

正しくいえば、病院で活動するために、専門的に育成された犬のことをいうのだが、この犬たちが小児ガンなど、重い病気で長期入院する子どもたちに寄り添って、不安感などを和らげているのだ。
病院の医療スタッフの一員として「常勤」している犬たちもいるという。

特に小児医療の現場で、明るい存在感を示しているようだ。

ベッドに寝たままの子どもたちの病室を、毎日定期的に訪れて、一緒の時間を過ごすのだが、子どもたちはこの常勤の犬がやってくるのを、心待ちにしているという。

犬と一緒だと、子どもたちは痛い注射も我慢するし、ときには子どもと一心同体となって、活動するというから、看護師さんより活躍しているかもしれない。

ただファシリティドッグは、まだ日本に4頭しかいないようだ。

ハンドラーと呼ばれるパートナーがいないと、活躍できないからだ。

海外で育てられ、教育を受けたファシリティドッグが、日本でぴったり合うハンドラーと訓練をしつづけて、ようやく一人前になるようだが、まだそこまでできる施設や病院は少ないらしい。

しかし犬好きな子どもにとっては、お父さん、お母さんより頼りになるようで、注射を打つ間、この犬に寄り添ってもらうだけで、我慢できるという子どもたちも多いという。

このファシリティドッグは、子どもたちと輪投げして一緒に遊んだり、散歩にもついてきてくれるというから、まさに友だちだ。

できればこのファシリティドッグを、もっと飼育して、各病院で勤務してもらいたいところだが、まだその緒についたばかりなので、これからが楽しみだ。



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